ニッケルブログ

歴史的なモネル:忘れられた合金

2021年3月23日

James E. Churchillは、モネルのこれまでの歴史を学び、最新の科学におけるモネルの適用、これらを冶金学上の重要な遺産として、材料を扱う人たちへ教育するとともに後世に伝えることをすべきであると確信している。

2019年、私は耳にしたことがある程度の材料、Monel® *と出会いました。
以前から、Samuel Yellinの精巧な工芸品を介して知ってはいたのですが、マンハッタンの南端を訪れたとき、アールデコのロビーにかすかにきらめくモネル製のエレベーターがあったのです。私は大いに興味をそそられました。この合金は何なのだろう?どのように使われていたのだろう?今でもよく使われているのだろうか?

モネルに関する資料を追跡調査してみたところ、この金属が多く使用されていたデパートや銀行は、再開発の波によって、残念なことに完全に失われてしまったことを知ったのでした。 また、材料を扱う方々皆さんが知らなかったということもわかりました。International Nickel Company(国際ニッケル会社、INCO)の解散によって、専有の研究が放棄されてしまったなか、保存されていた情報源として、モネルは時代後れの材料としてマーケティング資料の中にありました。さらに悪いことに、建設業者は、まだライフサイクルが終了しないにもかかわらず、すでにモネルを投棄していたのでした。

Monel alloy gate and Tiffany clock inside the Guardian Building, Detroit, Michigan

歴史

モネルは、1905年からこの世に存在してきました。鉱石から直接精製され、様々な用途に適合する完全“天然”合金の1つであり、今日でも建築環境に見られるステンレス鋼の先駆けです。[1]

冶金における多くの探求と同様に、モネルの原点は錬金術にあります。化学者のDavid H. Browne、Victor Hybinette、Robert C. Stanleyは、全員、オンタリオ州サドベリーの硫黄を含む鉱石から手頃な費用でニッケルシルバーを製造するプロセスを探し求めていました。

最終的に、Stanleyは初のインゴットを精製し、経営者であるINCO社のAmbrose Monell会長にちなんで命名するのですが、後に商標法によって短縮した名称となりました。

モネルは、ニッケル製品の需要が飛躍的に高まっていた時期に、注目される合金として登場します。 過去の米西戦争においては、ベースメタルを使用した兵器により、フィリピン艦隊を全滅させながら米軍の犠牲者がたった一人という結果は、兵器の技術的優位性を目の当たりにするのでした。第一次世界大戦での紛争において、複雑な帝国間の協約が結ばれる中、兵器購入は爆発的に増加していきました。

図1. 国別ニッケル生産量、米国鉱山局のデータ、1950年、材料調査、ニッケル。
グラフはJames E. Churchill。

転機

第一次世界大戦の余波は、ニッケル製品の需要に深刻な影響を及ぼしました。戦前は船舶や軍需品に広く活用されていましたが、1918年の軍縮条約を受けて需要は減ってしまいます。モネルの成功は、生みの親であるStanleyの先見の明をなくして語れません。
当時、INCO社の筆頭副社長になっていた彼は、生産打ち切りを求める声に耳を貸さず、危機の真只中に賭けにでます。採鉱から製錬・精製までの多様化するプロセスを確立することの重要性を感じた彼は、ニューヨーク市での市場開拓拡大する一方で、工場の建設と研究部門の設立を働きかけたのでした。

1920年代までに、モネルは23の異なる産業において、海軍戦艦の部品からアイスクリーム専用キャビネットに至るまで、幅広い用途で使用されるようになっていました。モネルは、耐食性に優れ、鋼鉄以上の強度を誇り、ニッケルよりも明るい銀白色のホワイトメタルとして宣伝されていました。 この汎用性のある合金は、アールデコの時代の性急な拡大の間に、装飾的利用が爆発的な増加を見ますが、数ある特性の中でも、特に、その耐酸性、耐海水性、低膨張率によって、大恐慌の時でさえ産業向けの実用的な利用が着実に増加していったのでした。

Fig. 2 An advertisement from the late 1920s for Monel doors and grilles in in Michigan Manufacturer and Financial Record, INCO, supplement March, 1929.

Fig. 3 An advertisement from the early 1930s for Monel sinks in in Ladies Home Journal, INCO, October 1931.

Fig. 4 An advertisement from the mid-1930s for the Monel roof at Penn Station, New York City in in The Nation’s Business, INCO, March, 1937.

Fig. 5 An advertisement for Monel as a kitchen product at sea in the early 1940s in Marine Engineering and Shipping Review, INCO, January, 1941.

ただ、モネルにも欠陥があったのです。これに続く数々の合金と異なり、モネルは目的のために作り出されたものではなく、さまざまな用途に使用されていました。研究の初期段階においては、そのベースメタルであるニッケルは、まだ元素として比較的新しく、生産が本格化したのは1880年代になってからでした。

科学界が実際に研究してみたところ、高ニッケル製品は屋外環境で長い間「銀白色」を維持できないことがわかり、湿気のある環境では、「くもり」に対して絶えず注意を払う必要があるという報告がでてきたのです。[2]

1930年代までに、INCO社は、Aluminum Company of America(アルコア社、Alcoa)やステンレス鋼ベンダーとの激しい競争に直面していました。ニッケルの価格が上昇するにつれ、企業はニッケル含有量がわずかで、外観の美しさに問題のない安価な製品を多用しました。エンパイアステートビル、クライスラービルといった新しい超高層ビルでは、モネルが敬遠され、より経済的で実績のある合金が重用されるようになり、モネルの利用は、屋内の装飾、海洋で使用される耐腐食材料や化学用途に縮小されていきました。

Fig. 6 President Robert C. Stanley released this Monel design booklet to encourage the use of the alloy in 1931. Despite its skyscraper-like setback silvery design, the book, replete with interior fixtures, displayed no exterior buildings at all. Found in Practical design in Monel metal for architectural and decorative purposes (New York, NY: Taylor, Rogers & Bliss, Inc., 1931)

Fig. 7 Practice Design in Monel Metal mostly covered interior designs of gates, grilles and doors. Ibid 42.

Fig. 8 The Aluminum Company of America responded within the year with an aluminum booklet. Aluminum in Architecture, Aluminum Company of America (ALCOA), 1932.

Fig. 9 The inner cover, which displayed twenty-four silvery buildings, sent a clear message. INCO’s omission was indicative of the narrowing field architecturally for Monel. Ibid.

保存活動の現状

保存活動において、このホワイトメタルは日常的に誤解され、不当な扱いを受けることが少なくありません。屋外の日陰の環境では、緑色の風化によって青銅や真ちゅうとして、また、屋内では、ステンレス鋼、ニッケルシルバー、アルミニウムと識別されることが多々あるのです。事実、モネルは、黒、灰色、茶色、黄色、緑色に変色してしまうことがあり、その後、ペンキ、ワックス、ラッカーが塗られてしまいます。損失部分は、緑青のステンレス鋼と交換され、溶接されているのです。これは正しい処置なのでしょうか?このような痕跡を見ると、モネルのこういった変色が全く予期されていなかったことがわかります。建築家や修復家は、この「不滅の合金」を維持するための作業は必要ないと仮定し、「緑青」という名において、潜在的な活性腐食セルとして残しました。

私は、体系的な学術調査を通して、専門家と地域社会の双方にモネルに関する知識を伝えていくつもりです。これまでの調査結果によると、意図された色彩設計が白目や銀から逸脱することは決してないだけでなく、緑色の風化がニッケルと銅ベースの化合物で構成されていることが示されています。[3] 今のモネルの酸化を説明するために使われいる形容詞は、20世紀初頭の広告カタログに使用されてきた過大な形容詞とはほど遠いものだったのです。

Fig. 10 The patchy weathering and flattening of sculptural relief on this wrought gate by Samuel Yellin at Woodlawn cemetery is a far cry from the gate that left his workshop in 1929. Photographs by Rob Kesack and James E. Churchill, courtesy of Manuscripts and Archives, Yale University Library.

次のステップは?

Derek TrelstadがTwentieth Century Building Materials (20世紀の建築材料)で指摘したように、INCO社は「頑固な汚れを取り除く方法や既存の緑青を保存する方法についての議論」を怠っており、「既知の処置法では、特に劣化について、全く対処されていない」のです。[4] Kreilick Conservation, LLCで働く私たちは、現場でモネルを洗浄する経験的試験によってこの問題に取り組んでいく一方、個人的には実験室ベースの研究を続け、モネルの大気腐食の過程と原因を解明する所存です。同研究によって、この重要な北米産ニッケルベース合金の整備拡大と処置改善の促進を願ってやみません。

※モネルは、Special Metals Corporationの登録商標です。ここで触れられている合金は、現在、UNS N04400として、世界中の数社によって製造されています。

[1] 現在、モネルは、鉱石自体から直接製錬、精製されるのではなく、コンピューター化により公差が厳密に制御された大気誘導炉で生産されています。

[2] W. H. J. Vernon、「The "Fogging" of Nickel(ニッケルのくもり)」、 Journal of the Institute of Metals (金属学会誌)48 (1932年)。

[3] 多くの保存関連文書では、モネルの緑色の風化は、合金に含有されている銅に起因すると結論付けられている。「The Aging of the Surface(表面の経年劣化)」の「モネル」を参照。L. William Zahner、Architectural Metal Surfaces(建築の金属表面)(ニュージャージー州ホボーケン:John Wiley & Sons、2005年)、304。

[4] Derek Trelstad、「モネル」、20世紀の建築材料:歴史と保全、Thomas C. Jester編集(ニューヨーク州ニューヨーク:McGraw-Hill、1995年)、24。

Jamesの学術調査の要約は、ニッケル協会の技術ライブラリにてご覧いただけます。

このブログで表明されている見解や意見は著者のものであり、必ずしもニッケル研究所のそれを反映するものではありません。

James 学術調査 要約(PDF)

参考文献

Trelstad, Derek。「モネル」、20世紀の建築材料:歴史と保全、Thomas C. Jester編集。ニューヨーク州ニューヨーク:McGraw-Hill、1995年。

Vernon, W. H. J. 「The "Fogging" of Nickel(ニッケルのくもり)」。 Journal of the Institute of Metals (金属学会誌)48 (1932年):16。

Zahner, L. William。Architectural Metal Surfaces(建築の金属表面)。ニュージャージー州ホボーケン:John Wiley & Sons、2005年。

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